日陰の恋が醒める時

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日陰の恋が醒める時

GoodNovel new 完結

会社の飲み会。最後に残った空席は二つだけだった。 一つは隅っこの席。もう一つは、私・柳城薊(やなしろ あざみ)が3年間秘密で付き合っている彼氏・石動啓哉(いするぎ けいや)の隣。 私が一歩前に出ようとした瞬間、啓哉は私の親友・早島彩夏(はやしま あやか)を呼んだ。 「早島、こっちに座りな」 周りの同僚たちはすかさず冷やかしの声を上げ、社内のLINEグループも大盛り上がりだった。 【美男美女!並んで座ってるだけで目の保養!】 【社長があんな風に誰かを気にかけるの、初めて見た!】 【絶対に早島さんのこと特別視してるって!もうこの2人、付き合ってるようなもんじゃない?】 飲み会の間中、啓哉は変な疑いを持たれないようにするためか、私とは一度も目を合わせなかった。 店員が料理をこぼして私が火傷をしてしまった時でさえ、彼はお酒を勧められている彩夏を庇っていた。 その瞬間、私の頭を、ふとこんな考えがよぎった。 ――この日陰の恋は、もう終わりにしよう、と。

チャプター (1)

第1章

会社の飲み会。最後に残った空席は二つだけだった。 一つは隅っこの席。もう一つは、私・柳城薊(やなしろ あざみ)が3年間秘密で付き合っている彼氏・石動啓哉(いするぎ けいや)の隣。 私が一歩前に出ようとした瞬間、啓哉は私の親友・早島彩夏(はやしま あやか)を呼んだ。 「早島、こっちに座りな」 周りの同僚たちはすかさず冷やかしの声を上げ、社内のLINEグループも大盛り上がりだった。 【美男美女!並んで座ってるだけで目の保養!】 【社長があんな風に誰かを気にかけるの、初めて見た!】 【絶対に早島さんのこと特別視してるって!もうこの2人、付き合ってるようなもんじゃない?】 飲み会の間中、啓哉は変な疑いを持たれないようにするためか、私とは一度も目を合わせなかった。 店員が料理をこぼして私が火傷をしてしまった時でさえ、彼はお酒を勧められている彩夏を庇っていた。 その瞬間、私の頭を、ふとこんな考えがよぎった。 ――この日陰の恋は、もう終わりにしよう、と。 第1話 お手洗いで火傷の応急処置をしていると、30分前に彩夏から届いていたメッセージが目に入った。 【薊、LINEグループで言われてること、変に誤解しないでね。みんな面白がって騒いでるだけだから、気にしないで】 手を拭き、私は【分かってるよ】とだけ返信した。 1分前には、啓哉からもメッセージが届いていた。 【さっきのは、周囲の目を気にして避けただけだ。深く考えないでくれ】 このメッセージを見つめていると、なぜか胸の奥がじわりと重くなる。 入社して3年、社員旅行でも飲み会でも会議の席でも、数えきれないほどの場面で、啓哉の隣に座るのは、いつも各部署の部長や、彩夏や、他の社員たちだった。私だったことは、一度もない。 たとえ私が彼と並んで立つ機会があったとしても、彼は周囲に疑われないようにと誰かと場所を代わり、私の視線に気付かないふりをし、私の言葉を聞き流すのだ。 会社の人たちも彼のそのよそよそしい態度に気づき、私を軽んじて、すっかり蚊帳の外に置くようになっていた。 私はスマホの画面を消し、返信はしなかった。 席に戻ると、皆はまだ賑やかに食事を楽しみ、談笑していて、まるで何事もなかったかのようだ。 ただ、手の火傷の水ぶくれがズキズキと痛むたびに、「もう別れよう」という決意が確かなものになっていく。 飲み会がお開きになると、車を運転するからとウーロン茶を飲んでいた啓哉のそばへ、同僚たちが彩夏を押しやった。 「社長、今日は台風でタクシーが全然つかまりません。早島さんが一人で帰るのも危ないですし、申し訳ありませんが、彼女を家まで送っていただけないでしょうか?」 啓哉は断ることなく頷いた。 「ああ。浜区の方向だけど、他にも同じ方面の人はいるか?」 彼は何気ない様子で口にしたが、その視線はまっすぐ私に向けられていた。 私は喉の奥がキュッと締まるのを感じた。 3年前、仕事帰りに見知らぬ男に後をつけられて以来、一人で夜道を歩くことにトラウマを抱えている。 それを知った啓哉は、それから毎日、私を密かに家まで送ってくれるようになった。 思わず口を開く。 「私も……」 「他の皆は僕が送りますから」 ある男性社員が私の言葉を遮り、目の前に割り込んでくる。 「社長は、早島さんのことをよろしくお願いします」 啓哉は少しの間、私を見つめたままだったが、やがて視線を逸らす。 小さく頷いて背を向け、「頼んだ」とだけ言い残すと、車を出して去っていった。 私が自分の住所を告げると、送ってくれることになった同僚は困った顔をした。 「柳城さん、浜区の方向だったなら早く言ってくださいよ! もう夜中の1時だし、柳城さんを送ってから帰るとなると、かなり時間かかっちゃうんで……悪いけど、自力でタクシー拾ってくれないかな? 台数少ないかもしれないけど、待ってればそのうち捕まると思うから」 私は黙って配車アプリを開く。表示された予想待ち時間は――53分。 LINEグループには、「無事に帰宅しました」という報告が次々と流れてくる。 誰が口火を切ったのか、いつの間にか話題は私と彩夏のことへと移っていた。 【あの人さ、いつも社長にべったりくっついてない?社長から嫌がられてるの、気づいてないのかな?】 【それな!社長が早島さんを呼んでなかったら、絶対あそこに座るつもりだったよね!】 【それにさっき社長が同じ方面の人いるかって聞いたのだって、早島さんと二人きりになりたかったから建前で聞いただけでしょ?本気にしてたの、たぶんあの人だけだよ】 彩夏から控えめなフォローのメッセージが入る。 【みんな、そういう言い方はやめなよ。社長はただ、私が新人だから気を使ってくれただけだよ】 それを見た同僚たちはさらにヒートアップする。 【前、あの人が入社したての頃、チームリーダーに怒られて書類をぶちまけた時なんて、社長素通りだったじゃん】 【それに社長、否定してないじゃん。それが何を意味するか、みんな分かってるよね!】 これらのやり取りを見ていても、私の心はもう何も感じなくなっていた。 そもそも彩夏がこの会社に入ってきたのは、私が職場で風当たりが強いと聞いて、私を助けるためだった。 それが今では、すっかり人気者になっている。 私にかけてくれるのは、当たり障りのない言葉ばかり。 「気にしないで」「悪気はないから」――それだけ。 彩夏と啓哉の噂が社内で広まった時も、啓哉はただ「自分の仕事にでも集中しろ。そんなくだらないことに気を取られるな」と言っただけだった。 ――くだらないこと。 本当に大切な相手になら、きっとそんな言葉は言えないはずだ。 冷たい夜風が、頬を撫でる。 私はLINEグループを退会し、スマホから退職届のメールを送信した。 もう別れると決めたのなら、これ以上我慢する必要なんてないのだ。 第2話 ようやくタクシーが捕まったのは、深夜2時を回った頃だった。 戻ってきた私に気づき、啓哉がソファから立ち上がる。 「さっき、どうして帰る方向が同じだって言わなかったんだ?言えば一緒に乗せて帰ったのに」 その悪びれない問いかけを聞いて、思わず言い返したくなる。 会社の人たちがあなたと彩夏をくっつけようとして、わざと割り込んで私を無視させたのが分からなかったの? あなたから「送ってく」って、どうして言ってくれなかったの? しかし、喉まで出かかったそれらの言葉は、結局そのまま飲み込んだ。 「……うっかりしてた」 そう言って彼に近づく。 ふと、彼がペアのルームウェアを着ていることに気がついた。 以前、突然の来客で怪しまれるのを気にするあまり、家の中でさえ啓哉は私とペアの服を着たことがなかったのに。 私は少し胸が熱くなる。 「ペアのものは絶対に使わないって言ってたじゃない」 啓哉が口を開きかけたその時、バスルームから彩夏が出てきた。あろうことか、彼とお揃いのルームウェアを身に纏って。 「私が着替えさせたの」 彼女は悪びれもせず、にこにこと笑っている。 「クローゼットの奥にペアのルームウェアが仕舞ってあるのを見つけて、つい借りちゃった。 私も似たようなの欲しいなって思って、メンズのサイズ感を見ておきたかったの。それで啓哉さんに試着してもらったってわけ」 私の表情は凍りつき、先ほどまで胸に抱いていたわずかな期待は跡形もなく消え去った。 彼がペアの服を着てくれたのは、私の退職届を見て、引き止めようと交際を公にする気になったからだと思っていたのに――実際は彩夏のためだった。 彼女は啓哉のルームウェア姿をまじまじと眺める。 「うーん、やっぱり私がメンズを着るにはちょっと大きいかな。 まあいいや、やっぱり買うのやめとく。どうせ彼氏もいないし、買っても着てくれる人いないもん」 その言葉に滲む残念そうな響きを感じ取って、啓哉はごく自然に言葉を返す。 「じゃあ、それを持って帰ればいい」 彩夏の目がぱっと輝いた。 「えっ、本当にいいの?」 啓哉は素っ気ない顔をしているが、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいる。 「ああ。どうせ買ってから、薊は一度も着てないからな。置いといても場所を取るだけだ」 私はうつむいたまま、拳を固く握り締め、そしてまたゆっくりと開く。 たしかに、場所を取るだけだ。 ペアの服を一人で着て、何の意味があるというのか。 だからずっと、クローゼットの奥にしまいこんでいる。 いつか啓哉が私たちの関係を公にして、一緒に着てくれる日が来ると――そう信じて待っていた。 しかし結局、それは他人の手に渡ってしまった。 「持って帰って。どうせ私には着る機会もないから」 そう言うと、彩夏は嬉しそうにくるりと回る。 「薊、本当にありがとう! そうそう、ここ数日台風で一人だと怖いんだけど、しばらくここに泊まらせてもらってもいい? そんなに長居はしないから!」 私は靴を脱いで奥へ向かう。 「好きにすればいいよ」 どうせ自分もじきにここを出て行くのだ。彼女がどれだけ居座ろうと知ったことではない。 ベッドに横になると、啓哉が不意に口を開いた。 「今日はやけに大人しいな。 前は、使えないペアグッズを人にあげた時は、随分落ち込んでただろ?」 暗闇の中、私の体がビクッとこわばる。 彼と付き合い始めたばかりの頃、私は有頂天になってペアグッズをたくさん買い込んだ。 お揃いのマグカップ、スリッパ、傘、万年筆。 身の回りの目につくものをすべてペアのものに変えたのだ。 なのに、その翌日には、啓哉は自分のメンズ用を社内イベントの抽選景品として配ってしまった。 私が持っているものと、社長が配った景品が同じものだと気づいた会社の人たちは、陰で私のことを「社長に片思いしてる妄想女」と面白おかしく噂した。 私はすっかり社内の笑い者になった。 つらかったのは、彼がペアのものが苦手だと素直に言ってくれれば済むことなのに、よりによって一番傷つくやり方を選んだことだ。 しかもその後、彼は怪しまれるのを避けるため、エレベーターすら私と一緒に乗らなくなった。 それから数日、私は拗ねて口を利かなくなった。 すると啓哉は私を自宅のワインセラーに連れて行き、壁一面に並んだワインを指差してこう言ったのだ。 「ここにあるワインはすべて金には代えられない宝物だ。 なぜなら、これらはすべて君の生まれ年のヴィンテージで、俺たちの結婚式の日まで開けないつもりだから」 私はずっと、啓哉の愛は言葉にならないだけで、ただ表現が不器用なんだと思い込んでいた。 しかし今日、彼が酒を勧められる彩夏を庇い、彼女に料理を取り分け、彼女とお揃いのルームウェアまで試着する姿を見て、ようやく悟った。 愛というものは、本当に大切に思っていれば自然と行動に表れるものだ。 口先だけで取り繕った愛情など、しょせん見せかけにすぎない。 私は静かな声で言った。 「あれは使えないものだって、自分で言ってたじゃない。 使えないなら、誰に譲ったって構わないでしょ」 啓哉は黙り込み、それ以上何も返してはこなかった。 第3話 翌日、リフレッシュルームでは皆が彩夏を囲んで噂話に花を咲かせていた。 「早島さん、新しくアップした自撮り、絶対に自分の家じゃないよね!まさか、あれって……」 「社長の家に泊まったんでしょ!」 「しかもあのルームウェア、ペアっぽくない?わー、進展早すぎ!」 「やっぱり社長、早島さんのこと狙ってたんだ!入社した時もわざわざ自分で案内してたし、あの時から『俺の女は俺が守る』みたいな独占欲ダダ漏れだったもんね!」 「そうそう、この前早島さんが低血糖でちょっとふらついた時も、会社は次の日にはもう午後のおやつ制度を新設したよね」 私はドアノブに手をかけたまま、思わず動きを止めた。 あの日の昼、昼休憩を潰して彩夏のデータ修正を手伝い、昼食を摂る暇もなかった。 そのせいで午後、リフレッシュルームで低血糖を起こしてふらついてしまった。 啓哉はそれを見ていたにもかかわらず、私を通り越して、後ろで同じようにつまずきそうになっていた彩夏を抱き止めたのだ。 その瞳に浮かんでいた焦りは、決して演技などではなかった。 後になって、私がその件で怒っているのに気づいた啓哉は、こう説明した。 「君には俺がいるが、彩夏にはまだ彼氏がいない。俺の会社で彼女が怪我でもしたら、俺の責任になる。 君の友達だからこそ、特別に気を配っただけだ。まさか親友にまで焼きもちを焼いてるのか?」 私はもう室内の冷やかしの声を聞く気になれず、踵を返して立ち去る。 そこへ、人事部の相馬が興奮した様子で駆け込んできた。 「みんな、聞いてくれ!とんでもないニュースを2つも仕入れてきたよ! 社長、どうやら結婚するらしい! さっき、婚約指輪がどうとかって話が耳に入ったんだ!」 同僚たちが彩夏を囲んでからかう声は、さらに大きくなった。 「やるじゃん、早島さん!もうすぐゴールインだね!」 相馬は咳払いをして言葉を続ける。 「2つ目のニュースはこれだ! まだ内密の話だけど、社長が昇進者リストに判を押したみたいで、それって君たちのチームから出るらしいよ」 それを聞いた同僚たちはまた大騒ぎを始める。 「早島さん以外に誰がいるのさ!」 「先に『社長夫人』って呼ばせてもらおうかな――」 彩夏はやんわりとかわす。 「そんなの分からないよ。薊の方が私より長く働いてるし」 私はその先の話を、それ以上耳に入れたくなかった。 人事部の中島課長は、私が提出した退職届に目を通すと、私をオフィスに呼び出した。 「柳城さん、あなたの企画力も実績も申し分ないのに、どうして急に辞めるなんて言い出したの?」 私はうつむいたまま尋ねる。 「中島さん、社長が承認した昇進の件、私の名前は入っていましたか?」 彼女は沈黙した。 私はさらに言葉を続けた。 「入社して3年、同期は少なくともチームリーダーには上がってるのに、足踏みしてるのは私だけです」 毎年、人事部は私の名前を昇進候補として啓哉に上げている。 だが彼はその度に、些細な理由をこじつけては私の昇進を却下してきたのだ。 中島課長は眉をひそめて尋ねる。 「柳城さん、あなた、どこかで社長の機嫌を損ねたんじゃないの? 彼に謝りに行った方がいいんじゃない?」 私は苦笑いを浮かべる。 別に彼を怒らせたわけじゃない。ただ、彼と日陰の恋をしていただけなのだ。 中島課長はそれ以上私を引き止めようとはしなかった。 「一般社員の退職なら、上層部の決裁を通さなくても受理できるわ。 あなたが辞めると決めたのなら、私の方で承認しておくわね」 退職の話し合いを終えた後、啓哉は社員会議を招集した。 彼は険しい顔つきで口を開く。 「一昨日、第2チームが提出したレポートだが、クライアントからその場でデータのミスを指摘された」 彼は視線を上げ、こちらを睨みつける。 「柳城さん、これは君のチームの担当だな? リーダー代行がまともに務まらないなら他の者に任せる。一ヶ月分のボーナスをカットし、早島を後任のチームリーダーとする」 彩夏がチームリーダーに昇進したと聞いて、数人の同僚は目を輝かせながら、こっそりお祝いの言葉をかけている。 だが私はただ、そのデータ表をじっと見つめていた。 その表は、数日前に彩夏と一緒に昼休憩を潰して作成したものだった。 このプロジェクトが私の担当ではないことを、啓哉は知っているはずだ。 私は手のひらに爪を食い込ませ、心が冷え切っていくのを感じた。 彼女のミスを私に被らせて、おまけに私の役職まで取り上げて彼女を昇進させるなんて。 あまりにも皮肉な話に、自嘲めいた笑いがこみ上げてくる。 私の表情に気づいたのか、啓哉がわずかに眉をひそめる。 会議の後、彼は私を社長室に呼び出した。 「データの不備は確かに彩夏の落ち度だ。だが、部下がミスをするのは、リーダーの管理不足でもある。 降格とボーナスカットについて、何か言いたいことは?」 私は表情を変えず、事務的に答える。 「ありません。社長のご判断ですので」 啓哉はさらに苦い表情を浮かべたが、それでも何も言わず、ただ手を振って、私を下がらせた。 社長室から出てくると、彩夏が缶コーヒーを手に、恐る恐る私のそばに歩み寄ってきた。 「薊、コーヒー飲む?」 私は彼女の手をそっと押し返した。 「いらない」

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