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裏切った男がどれだけ後悔しても、もう二度と愛さない
10年前、私・水原美海(みずはら みうみ)は港市の街角で青柳晴也(あおやぎ せいや)を拾った。 不自由な足を引きずりながら、私は百軒もの家を回って施しを乞い、必死で彼の命を救った。 やがて彼は力をつけ、私に隠れて港市で名を知られるようになった。 昼は埠頭で荷物を担ぎ、夜はギャンブル場の用心棒をして、私の足の治療費を少しずつ貯めていた。 私は怒って、彼の肩をぽかぽかと叩いた。 「何考えてるの!自分の家賃すら払えないのに、私の足の治療費なんて……」 すると彼は、へへっと照れくさそうに笑った。 「うちの美海は、舞台上で輝くべきなんだ。車椅子なんかに縛りつけられてちゃいけない!」 彼はその後も、私に隠れてサンドバッグにされたり、地下のボクシングの試合に出たり、さらには誰かの身代わりになって銃弾を受けたことさえあった。 そしてついに彼はこの町の一番強いヤクザ組織――宗組に認められ、港市で名を轟かせる新進気鋭の人物となった。 けれど、その直後、私のもとに二つの知らせが届いた。 一つは、彼がようやく私の足の治療に必要なだけの金を手に入れたという知らせだった。 もう一つは、彼が宗組の親分の娘と結婚するという知らせだった。
チャプター (1)
第1章
10年前、私・水原美海(みずはら みうみ)は港市の街角で青柳晴也(あおやぎ せいや)を拾った。
不自由な足を引きずりながら、私は百軒もの家を回って施しを乞い、必死で彼の命を救った。
やがて彼は力をつけ、私に隠れて港市で名を知られるようになった。
昼は埠頭で荷物を担ぎ、夜はギャンブル場の用心棒をして、私の足の治療費を少しずつ貯めていた。
私は怒って、彼の肩をぽかぽかと叩いた。
「何考えてるの!自分の家賃すら払えないのに、私の足の治療費なんて……」
すると彼は、へへっと照れくさそうに笑った。
「うちの美海は、舞台上で輝くべきなんだ。車椅子なんかに縛りつけられてちゃいけない!」
彼はその後も、私に隠れてサンドバッグにされたり、地下のボクシングの試合に出たり、さらには誰かの身代わりになって銃弾を受けたことさえあった。
そしてついに彼はこの町の一番強いヤクザ組織――宗組に認められ、港市で名を轟かせる新進気鋭の人物となった。
けれど、その直後、私のもとに二つの知らせが届いた。
一つは、彼がようやく私の足の治療に必要なだけの金を手に入れたという知らせだった。
もう一つは、彼が宗組の親分の娘と結婚するという知らせだった。
第1話
「晴兄貴がお嬢様を妻に迎えるんだって。3日後には結婚式を挙げるらしいぞ!」
「だから言っただろ。晴兄貴が水原さんを選ぶなんて、ありえないって。彼女は……とにかく、晴兄貴とは釣り合わないよ」
「びっこ」という言葉を誰も口にはしなかったが、みんな何を言いたいのかは分かっていた。
その部下がその言葉を口にしなかったのも、ほかでもない晴也がそこにいたからだった。
以前、ある部下が晴也の目の前で私を「びっこ」と呼んだことがある。
その瞬間、彼は何も言わずに刀を取り出し、その男の脚を切り落とした。
そして、冷たい目で言った。
「これでお前もびっこだ」
けれど、振り返った彼は、優しい眼差しで私を見つめた。
「俺がいる限り、誰にもお前を傷つけさせない」
その一件で、宗組の親分は彼の非情さを知り、彼を重用するようになった。
それから間もなく、彼の名は港市中に知れ渡った。
そして私も、当然のように彼が誰にも触れさせやしない逆鱗となり、もう誰も私を「びっこ」なんて呼ばなくなった。
みんなが私を「水原さん」と敬意を込めて呼ぶだけだった。
なのに今、晴也は別の女を妻に迎えようとしている。
そう思った瞬間、胸を強くえぐられるような痛みが走り、息すらできなくなった。
いつの間にか、車椅子がゆっくりと後ろへ滑っていた。
海へ落ちそうになって初めて車椅子が後ろへ滑っていたことに気づき、私は反射的に目を閉じた。
一瞬だけ、このまま死んでもいいと思った。
そうすれば、もう晴也の重荷になることもない。
けれど、どれだけ待っても、覚悟していた死は訪れなかった。
誰かに車椅子から抱き上げられたからだ。
目を開けると、そこには晴也がいた。
その瞳には、いつもと変わらない優しさが宿っていた。
「美海、怖がらなくていい。俺がいる」
だが次の瞬間、宗組のお嬢様・宗優子(むね ゆうこ)が慌てた様子でこちらへ歩いてきた。
彼女は私を見ると、一瞬だけ表情を曇らせた。
けれど、すぐに心配そうな声で尋ねた。
「美海ちゃん、大丈夫?」
私は小さく首を横に振った。
「大丈夫です」
優子はようやく安心したように、ほっと息をついた。
「よかった。私と晴也はちょうどウェディングドレスを選び終えたところよ。その帰りに、ここを通りかかったの。まさか、こんな場面に出くわすなんて思わなかったわ。
晴也がすぐに助けてくれて本当によかった。もし間に合わなかったら、大変なことになっていたわ……」
彼女はその後も何か話し続けた。
けれど私は、「ウェディングドレス」という言葉だけが頭に残っていた。
やっぱり、みんなが言っていたことは本当だったんだ。
晴也は本当に優子を妻に迎える。
私はぼんやりと晴也を見つめた。
気づけば、目に涙が浮かんでいた。
晴也は何も言わなかった。ただ、口元をほんの少しだけ緩めた。
その瞬間、私はようやく気づいた。こんな状況で、彼に抱きかかえられたままでいるのはよくないと。
「晴也、下ろして!」
そう言って、私は身をよじりながら彼の腕から降りた。
すると、いつの間にか外れていた私のブレスレットが地面に落ちた。
「あら……素敵なブレスレットね!」
優子が真っ先にそれに気づき、声を上げた。
第2話
私は一瞬、動きを止めた。そしてすぐに身をかがめ、ブレスレットを拾い上げた。
優子は名残惜しそうな表情を浮かべながら言った。
「美海ちゃん、私、こんなに気に入ったブレスレットは初めてなの。ねえ、それを私に譲ってくれない?晴也との結婚祝いだと思って、ね?
もちろん、ただで奪おうなんて思っていないわ。代わりに10本返すから」
私は首を横に振った。
「申し訳ありません、お嬢様。このブレスレットは、私にとって本当に大切なものなんです」
このブレスレットは、晴也が私に贈ってくれたものだ。
彼が初めて海外へ行った時、私のために競り落としてくれたのだ。
その時、彼は言った。
「うちの美海には、この世で一番いいものが似合う」
私もこのブレスレットを何より大切にしていて、毎日身につけていた。
優子はそれを聞くと、残念そうに晴也を見た。
「晴也、私、本当に気に入っちゃったの」
晴也は私を見た。その顔には、何の感情も浮かんでいなかった。
「美海、このブレスレットは優子に渡せ。あとで金をやるから、好きなものを買いに行けばいい」
私は信じられない思いで、彼を見つめた。
彼なら、私がこのブレスレットをどれほど大切にしているか知っているはずだ。
なのに今、彼は優子のために、何のためらいもなく私に譲るよう求めている。
私がなかなか頷かないのを見ると、晴也の表情に苛立ちが滲んだ。
「たかがブレスレット一つだろう?美海、お前はいつになったら少しは分別がつくんだ?
これからは優子を見習って、どうすれば礼儀をわきまえた振る舞いができるのか学べ」
そう言うと、彼は私の手からブレスレットを取り上げ、優子の手首にはめた。
私はまるで氷の底へ突き落とされたかのような気分だった。
彼は確かに、このブレスレットが私に一番似合うと言っていたのに。どうして今、それは優子の手首にはめられているのだろう。
私は胸の痛みを必死にこらえ、その場に立ち尽くしていた。
優子は満足そうにブレスレットを眺めると、晴也の腕に絡みついた。
「晴也、美海ちゃんに何かプレゼントを選んであげましょうよ。何がいいかしら?美海ちゃんはびっこなんだから、電動車椅子なんてどう?そうすれば、これからもっと楽になるわ」
「びっこ」という言葉を聞いた瞬間、私は愚かにも期待してしまった。
晴也なら、昔のように私を庇って、優子を叱ってくれるのではないかと。
けれど、晴也の冷静な言葉は、まるで刃物のように何度も私の胸を突き刺した。
「いいんじゃないか。美海、優子に礼を言え。彼女はお前のことを本当に気にかけているんだぞ」
私は唇を強く噛みしめ、涙がこぼれないように耐えた。
晴也はすぐに私の様子に気づき、不満そうに言った。
「美海、お前もそろそろ大人になれ」
優子は隣で、わざとらしく心配するような表情を浮かべて言った。
「晴也、女の子の気持ちなんてあなたには分からないでしょう?私が美海ちゃんと話してみるわ」
私はかつて、長い間いじめられていた。
晴也以外の人と関わることは、私にとってとても難しいことだった。
彼はそのことを知っているはずだった。
私はすがるような思いで晴也を見た。
けれど彼は私を一瞥しただけで、困ったように首を横に振った。
「そうだな。でも優子、無理はするな。美海は人付き合いが苦手すぎるから、お前と上手く話せなくても仕方ない。決して無理をするな」
晴也が去ったあと、優子はすぐに別人のような顔を見せた。
「水原、いつまで晴也にまとわりつくつもり?」
私は目を見開き、信じられない思いで彼女を見た。
さっきまで優しく愛らしかった優子が、今は威圧的な態度で私を問い詰めている。
私が何も言わずにいると、彼女は突然笑った。
「あんたみたいなびっこが晴也のそばにいたって、足手まといになるだけよ。あんたに彼を助けるなんて、できるわけないでしょ?」
「足手まとい」という言葉が、深く胸に突き刺さった。
そうだ。
私は本当に、足手まといなのだ。
私が何か言い返す間もなく、優子はすでに私の車椅子へ手を伸ばしていた。
.
第3話
彼女の目に、陰湿な笑みが浮かんだ。
「晴也が大切にしているのは、あんたみたいな足手まといなのか、それとも私なのか……当ててみなさいね」
そう言うと、彼女は私の車椅子を力いっぱい押した。
私は車椅子ごと、激しく地面に倒れ込んだ。
すぐそばで「あっ」という声が聞こえ、優子もそのまま倒れた。
彼女は何度も呟いた。
「美海ちゃん、私、晴也との結婚をやめるから……お願い、許して……」
物音を聞きつけた晴也が駆けつけ、目の前の光景を見た瞬間、その瞳に怒りが浮かんだ。
「美海、お前はいったい何をしているんだ?優子がお前を助けようとしてくれていたのに、お前は彼女にこんなことをするのか?」
そう言うと、彼は地面に倒れている優子をすぐに抱き上げた。
優子は今にも泣き出しそうな顔をしながら、それでも晴也をなだめるように言った。
「美海ちゃんを責めないで。彼女はただ、あなたのことを大切に思うあまり、少し感情的になって……私の足を折ろうとしただけなの」
それを聞いた晴也の怒りは、さらに強くなった。
「美海、どうしてそんなに意地悪になったんだ?自分がびっこだからって、優子まで自分と同じ目に遭わせたいのか?」
そう言うと、彼は私の車椅子を蹴りつけた。
両脚に強い衝撃が走り、骨が砕けるような音がした。
私は震え、痛みで声すら出せなかった。
「びっこ」という言葉が晴也の口から出た瞬間、全身の血が凍りついたようだった。
私たちが積み重ねてきた長い年月は、他人のたった数言にも及ばなかったのだ。
晴也はもう私を見ることもなく、優子を抱いたまま病院へ向かった。
「優子、怖がらなくていい。俺がいる限り、誰にもお前を傷つけさせない」
私の両脚は車椅子に押しつぶされて、地面に擦った両手からも血が滲んでいた。
私は絶望の中、ゆっくりと目を閉じた。
かつて彼も言った。
「俺がいる限り、誰にもお前を傷つけさせない」、と。
今、明らかに傷ついているのは私なのに、彼は少しも気にかけてくれない。
私たちの関係は、やはり変わってしまったのだ。
……
どうやって家まで戻ったのか、私は覚えていなかった。
ぼんやりとしていると、額に温かな手が触れた。
晴也は私のことを心配してくれていたのだ。
彼は私を見つめ、その瞳の奥にはわずかな申し訳なさが浮かんでいた。
「美海、ごめん。今日は少しやりすぎた……でも、お前は優子を傷つけるべきじゃなかった」
私は顔を上げ、彼を見た。
目には涙が浮かんでいた。
「私がやっていないと言ったら?信じてくれる?」
晴也は視線を逸らした。
「でも、事実が目の前にある。まさか優子がお前を陥れるはずがないだろう?彼女は正真正銘のお嬢様だ。わざわざお前を陥れる必要なんてある?
いいから、あとで素直に優子に謝れ。そうすれば、この件はなかったことにする」
私は笑った。けれど、その笑みには悲しみが滲んでいた。
そうだ。彼女は正真正銘のお嬢様だ。
どうして私を陥れるのか。
私だって知りたい。
私は冷たく言った。
「晴也、私は悪いことをしていない」
次の瞬間、「パチン」という乾いた音が響き、部屋の空気が一瞬で凍りついた。
頬を平手で叩かれ、口の端から血が滲んだ。
昔は、誰かが私の髪一本に触れただけでも、彼はその相手を許さないほど怒った。
なのに今日、彼は自分の手で、二度も私を傷つけた。
私は頑なに晴也を見つめた。
彼の瞳は一瞬揺れた。けれど、それもすぐに怒りへと変わった。
「お前は昔、こんなんじゃなかった。いつからこんなに理不尽な人間になったんだ」
私は鼻で笑った。
――変わったのはいったい誰なのだろう。
晴也は私を軟禁するよう命じた。
結婚式が終わるまで、彼の許可がなければ、誰も私に会いに来ることはできない、と。
第4話
しかし、その結婚式が行われる前に、晴也は激しい怒りを露わにして、私のもとへやって来た。
「美海、やりすぎだ。なぜ優子のウェディングドレスを切り裂いたんだ?ドレスを傷つければ、俺たちが結婚をやめるとでも思ったのか?」
私は慌てて弁解した。
「私じゃない!」
けれど、彼は聞く耳を持たなかった。
「使用人たちはみんな口を揃えて言っている。お前がこっそり抜け出して、ドレスを切り裂いたと。
証言も証拠も揃っているのに、まだ言い逃れをするつもりなのか。お前に本当にがっかりした」
そう言うと、彼は背後から短剣を取り出した。
「今まで俺がお前をきちんと躾けてこなかった。これからは俺が、人としてどう振る舞うべきかを教えてやる」
次の瞬間、彼は私の右手の甲を目がけて、短剣を振り上げた。
「この手でやったのか?これで、二度と同じことをしないよう覚えておけ」
冷たい光を放つ刃が振り下ろされた。
右手の甲に鋭い冷たさを感じた直後、えぐられるような激痛が襲ってきた。
血がどくどくと溢れ出し、あっという間に袖口を赤く染める。
真っ赤な血が、晴也の目にも焼きついたようだった。
彼は短剣を握る手をわずかに震わせていた。
まるで、自分が本当に手を下すことになるとは思っていなかったかのように。
「痛いか?」
彼の声はかすれていた。そこには、本人ですら気づかないほど小さな後悔が滲んでいた。
けれど、それもすぐに冷たい声へと変わった。
「痛い目を見なければ、していいことと悪いことの区別もつかないだろう 」
そう言うと、彼は手下へ命じた。
「彼女を島へ送れ。そこでよく反省させろ」
……
私は二人の手下に乱暴に船へ引きずり込まれ、そのまま孤島へ連れて行かれた。
右手の甲の傷に海水の塩分が染み、焼けるように痛んでいる。けれど、それは心が死んでいく痛みに比べれば、ほんの一万分の一にも満たなかった。
船室の外では、護送を任された二人の手下の会話が、海風に乗って途切れ途切れに聞こえてきた。
「晴兄貴、今回は本当に怒っているな。お嬢様のためとはいえ、まさか水原さんに手を上げるなんて」
「何も分かってないな。晴兄貴はずっと前から、あいつを追い出したかったんだ。お嬢様からも、あいつが目障りだから追い出してくれと強く迫られている。
それに、今の晴兄貴の立場を考えてみろ。びっこをそばに置いていたら、笑いものにされるだろう」
「でも、水原さんは10年も晴兄貴のそばにいたんだぞ……」
「10年がどうした?晴兄貴は前に言っていたじゃないか。昔、彼女に助けてもらった恩は、とっくに返したって。
びっこに一生足を引っ張られるわけにはいかないんだ。ドレスを切ったことだって、ただあいつを追い出すための口実にすぎない。
晴兄貴が本気で、あいつがやったと思っているとでも?」
その一言一言が、毒針のように私の心に突き刺さり、残っていた最後の希望まで打ち砕いた。
そうだったのだ。
私が宝物のように大切にしていた10年間の絆は、とうの昔に彼にとって、早く捨て去りたい「足手まとい」でしかなくなっていた。
徐々に近づいてくる孤島は、まるで私の心そのもののように荒れ果てていた。
手下たちは私を冷たい浜辺へ放り出すと、未練ひとつ見せず船を引き返した。
果てしない海を眺めながら、私は力なく右手を砂の上へ垂らした。
血は砂にまみれ、右手の甲は暗い赤色に染まっていた。
――もういい。晴也、これがあなたの望みだったのでしょう。
船が水平線の彼方へ消えて間もなく、空模様が急に変わった。
黒い雲が一気に押し寄せ、巨大な波が何の前触れもなく起こった。
まるで凶暴な獣のように、海岸全体を飲み込んでいった。
私は荒れ狂う波に一瞬でさらわれ、塩辛い水が肺へ流れ込んだ。
意識が遠のいていく中で、私は不思議なほどの解放感を覚えていた。
同じ頃、港市の中心街では教会の鐘が鳴り響いていた。
晴也は白いスーツに身を包み、今まさに優子へ結婚指輪をはめようとしていた。
その時、一人の手下が転がるように駆け込んできた。
そして、その悲痛な声が、華やかな祝福の雰囲気を一瞬で凍りつかせた。
「晴兄貴!大変です!島に……津波が来ました!水原さんが……亡くなりました!」