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白いキキョウと遅すぎた懺悔
「雪乃の薬をすり替えたのはあんたよね?」 口を開いても、漏れるのはかすかな息だけだ。 3年前、火事の現場から須藤雪乃を助け出したときに負った後遺症だ。 しかし、あの人たちが覚えているのは、私のせいで雪乃の心臓病が悪化したということだけだ。 母の声が、耳をつんざく。 「まだしらを切るつもり?雪乃がはっきりと見たって言ってるのよ!」 必死に身振りで伝えようとするが、それより早く、父の足が膝裏を蹴りつける。 バランスを崩し、氷のように冷たい川の水に飲み込まれる。 岸から、父の声が降ってくる。 「覚えてないというなら、水の中でじっくり考えろ」 母は、ボディガードたちに言いつける。 「1回20万円もする水泳の個人レッスンを受けさせていたんだから、これくらい平気よ。しっかり見張っていなさい。自分のしたことを認めるまで、絶対に上がらせないこと」 両親は知らない。ボディガードたちが、すでに雪乃に買収されていたことを。 死を覚悟するほど苦しくなって、ようやく引き上げられた。 手の震えを必死に抑えて、血で汚れたノートに、歪んだ文字を書きつけた。 【私が死んだら、心臓は雪乃にあげて。 彼女の16年間をうばって、ごめんなさい】
チャプター (1)
第1章
「雪乃の薬をすり替えたのはあんたよね?」
口を開いても、漏れるのはかすかな息だけだ。
3年前、火事の現場から須藤雪乃を助け出したときに負った後遺症だ。
しかし、あの人たちが覚えているのは、私のせいで雪乃の心臓病が悪化したということだけだ。
母の声が、耳をつんざく。
「まだしらを切るつもり?雪乃がはっきりと見たって言ってるのよ!」
必死に身振りで伝えようとするが、それより早く、父の足が膝裏を蹴りつける。
バランスを崩し、氷のように冷たい川の水に飲み込まれる。
岸から、父の声が降ってくる。
「覚えてないというなら、水の中でじっくり考えろ」
母は、ボディガードたちに言いつける。
「1回20万円もする水泳の個人レッスンを受けさせていたんだから、これくらい平気よ。しっかり見張っていなさい。自分のしたことを認めるまで、絶対に上がらせないこと」
両親は知らない。ボディガードたちが、すでに雪乃に買収されていたことを。
死を覚悟するほど苦しくなって、ようやく引き上げられた。
手の震えを必死に抑えて、血で汚れたノートに、歪んだ文字を書きつけた。
【私が死んだら、心臓は雪乃にあげて。
彼女の16年間をうばって、ごめんなさい】
第1話
私・須藤詩乃(すどう しの)は必死に首を横に振り、指を岩の隙間に食い込ませながら、どうにか這い上がろうとする。
鼻にまで川の水が入り込み、声を出すことさえできない。
母・須藤冴子(すどう さえこ)が金切り声を上げる。
「雪乃の薬をすり替えたのはあんたよね?雪乃がはっきりと見たって言ってるのよ!」
必死に身振りで伝えようとするが、凍るような寒さで、思うように動けない。
――私じゃない。雪乃の薬に触れたことなんて、一度もない。
口を開けても、傷ついた声帯を空気がすり抜け、ヒューヒューというかすれた音しか出てこない。
父・須藤宗一郎(すどう そういちろう)は、後ろに控えるボディガードたちを振り返る。
「何も言わないってことは、認めたも同然だ。そのまま水に浸からせておけ。自分のしたことを認めるまで、絶対に引き上げるな」
妹・須藤雪乃(すどう ゆきの)はそっと母の腕に手を添え、弱々しく言う。
「お母さん、川の水はすごく冷たいから、お姉ちゃんが風邪を引いちゃうよ……」
「風邪?雪乃と違って、詩乃は心臓病もないし、無駄に丈夫なのよ!雪乃は優しすぎるの。水に浸かっていれば、自分が何をしたか思い出すかもしれないわね!」
水が耳元まで迫り、周囲の音が次第に遠ざかっていく。
父が母の肩を抱いて背を向けるのが見える。雪乃が私に向かって、ゆっくり首を横に振る。声は聞こえない。それでも、その唇の動きが、はっきりと読める。
「ざ・ま・み・ろ」
3人が車で去ったあと、私は必死に岸まで這い上がった。
しかし、茂みから飛び出してきた男に阻まれ、再び川へ突き落とされる。
須藤家のボディガードだ。
「恨まないでくれよ。雪乃様からの指示で、お前が謝るまで岸に上げるなってことになってるんだ」
口をパクパクと動かしても、やはり声は出ない。
助けを求めて手を伸ばすと、ボディガードはスマホを取り出し、笑いながら私を撮影し始めた。
ようやくもう一度岸へ上がった瞬間、今度は首を掴まれ、そのまま水の中へ押さえつけられた。
「この喋れない女を殺せば、2000万か。雪乃様もなかなか気前がいいな」
「それにしても、こいつ、ずいぶんきれいじゃないか。早く片づけろって言われてなきゃ、もう少し楽しんでみたかったぜ」
「チッ、2時間も浸かってるのに、まだ死なねぇのか。しぶといな」
私がまだ這い上がろうとしているのを見ると、ボディガードたちは大きな石を拾い上げ、私に向かって投げつけた。
「クソが、これでどうだ!」
体が沈んでいき、四方八方から水の重圧がのしかかってくる。
肺に残っていた空気が、細かい気泡となって水面へ上っていく。
目を開けたまま、水面の光が、どんどん遠ざかっていくのを見つめる。
やがて、冷たい川の水に完全に呑み込まれた。
……
再び目を開けると、家の前に立っていた。
身につけているのは、さっきまで着ていた濡れたセーターだ。もう水滴は落ちてこない。
手を伸ばしてドアを開けると、ダイニングのまぶしい明かりが目に入る。
雪乃がちょうど、母の茶碗に料理を取り分けているところだ。
第2話
「お母さん、心配しないで。お姉ちゃんはただ意地を張ってるだけだから、気が済んだら、きっと帰ってくるよ」
父は手を伸ばし、雪乃の頭を優しく撫でた。
「やっぱり雪乃のほうがしっかりしてるな。あの子は昔から、何かと手を焼かせてばかりだ」
ダイニングテーブルの上には、黄色い果肉がたっぷり乗ったマンゴームースケーキが置かれている。
私が7歳のとき、雪乃は誕生日にマンゴームースを食べたいと言った。ケーキを食べた私は全身に発疹が出て救急搬送され、そこで初めて、マンゴーアレルギーだと知った。
それ以来、雪乃の誕生日ケーキは必ずマンゴームースになった。
そうすれば雪乃は、ケーキも、両親の愛情も、すべて独り占めできるからだ。
母がため息をつく。
「心臓病になったのが詩乃だったらよかったのに。雪乃みたいな優しい子が、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの」
喉が詰まり、思わず手を伸ばして母の肩に触れようとした。しかし、手はむなしく母の体をすり抜けてしまう。
「そういえば、詩乃は7歳のときに、雪乃に階段から突き落とされたって言い張ったろ。雪乃はまだ5歳だぞ。そんな力があるもんか」
私の話になった途端、父の声が露骨に冷たくなる。
私は必死に叫ぶ。
「違う!雪乃が私のネックレスを取ろうとしたから、私が後ずさったときに足を踏み外したの!」
母が呆れたように言う。
「結局、雪乃が自分のブレスレットを詩乃にあげたじゃない。あんな安物のネックレスで、大騒ぎするなんて」
あれは、祖母がくれた銀のネックレスで、小さな月のペンダントがついていた。
雪乃が欲しいと言ったが、渡したくなくて断った。すると、雪乃はいきなり手を伸ばし、ネックレスを引きちぎろうとした。
ネックレスが切れ、月のペンダントは階段を転がり落ちて、そのまま見つからなくなった。
私は母を見つめ、やり場のない悲しみに包まれる。
「あのブレスレットは、もともと壊れていたの。雪乃が自分で机の角にぶつけたんだよ。弁償だなんて言いながら、本当はいらないものを押し付けてきただけじゃない」
雪乃がタイミングを見計らったように口を開く。
「お姉ちゃん、まだ私のことを怒ってるのかも……電話してみようか?」
父はうっとうしそうに手を振る。
「その必要はない。この前の火事だって、あいつが勝手に走り回らなければ、あんな大火傷にならなかったんだ。雪乃はあいつを助けようとして、今も腕に火傷が残ってるんだぞ」
母は雪乃に目を向ける。その表情が、たちまち柔らかくなる。
「雪乃の腕の傷は、詩乃を助けたときにできたものよ。雪乃ったら、いつも他人のことばかり考えて……」
私は即座に否定する。
「勝手に走り回ったんじゃない!雪乃が物置にぬいぐるみを落としたから、取ってきてって言ったの!」
しかし、私の声は誰の耳にも届かない。
そこで、私は思い出した。火は、物置から出たのだ。
ドアは外から鍵をかけられていた。
必死にドアを叩いて助けを求めたとき、濃い煙が喉の奥まで入り込んだ。
消防隊員がドアを破って、私を救い出したときには、私の声帯はすでに潰れていた。
雪乃の腕の火傷は、私を外に出すまいと、ドアを押さえつけていたときにできたものだ。
雪乃はうつむき、唇を結ぶ。
そのとき、ポケットの中のスマホが震えた。
雪乃が何気なくスマホを取り出し、画面が明るくなった瞬間、ポップアップメッセージが私の目に飛び込んできた。
先ほどのボディガードからのメッセージだ。
【雪乃様、ご指示どおり、あいつを川で始末しました】
続いて動画が届く。
動画を確認したあと、雪乃はふっと笑った。
……
壁掛け時計の針が、夜8時を指している。
雪乃が、ホームビデオを見ようと提案した。
母の声が弾む。
「ほら、これ見て。雪乃の5歳の誕生日よ。もう自分でケーキを切ってるわ」
画面の中では、雪乃が自分の手よりも大きなケーキナイフを握り、顔中を生クリームだらけにしている。
画面の外から、父の笑い声が聞こえる。
「うちの雪乃は本当に器用だな!」
カメラがダイニングテーブルの隅を映し出した。そこに7歳の私がいた。
色褪せたパジャマを着て、車椅子に静かに座っている。目の前には、フルーツが少しだけ乗った小皿が置かれている。
黄色い果肉。マンゴーだ。
右足にはギプスが巻かれていた。
父が懐かしそうに言う。
「この頃の雪乃は、活発だったな。詩乃とは大違いだ。あいつは一日中、ああやって暗い顔をして、座っていた。
ケーキを食べるか、ジュースを飲むかと聞いても、首を横に振っただけだった。あとになって、俺たちが雪乃ばかりひいきしているって文句を言うんだ」
第3話
父は忘れている。あのとき私は、脚を骨折して手術を受けたばかりだった。医師からは、甘いものも冷たいものも口にしないようにと言われていた。
ホームビデオの映像が切り替わる。
雪乃が小学校に入学したときの映像だ。真新しい制服を着て、玄関ではしゃいでいる。
母はしゃがみ込み、雪乃の胸元のリボンを整えながら、優しい眼差しで彼女を見つめている。
「雪乃は昔から手のかからない子ね。それに比べて詩乃ときたら、わがままばかり言って。脚はもう治っていたのに、いつまでも車椅子に乗りたがって。私たちにもっと構ってほしかっただけなのよ」
本当は医師から、3ヶ月は経過を見ながら、歩かないようにと言われていたからだ。
父がふいに口を開く。
「そういえば覚えているか?雪乃が熱を出したとき、詩乃も具合が悪いと言い張ったことがあったろ。結局病院に連れて行ったら、雪乃は39.5度もあったのに、あいつは熱も何もなかった」
母は露骨に嫌そうな顔をする。
「もうやめて。あの子の話をするとイライラするわ。昔から本当に性根の悪い子なんだから」
そのとき、電話が鳴った。
母がローテーブルの上からスマホを取り、画面を確認する。
「知らない番号ね。セールスかも」
それでも一応、電話に出る。受話口から、かすかな声が聞こえてくる。
「もしもし、須藤詩乃さんの……」
次の瞬間、スマホの画面が暗くなる。バッテリーが切れたのだ。
時計の針は、夜9時を指している。
雪乃が大きなあくびをする。
「お母さん、明日、お姉ちゃんに新しいワンピースを買いに行こうよ。お詫びのしるしってことで」
母はためらうことなく首を横に振った。
「放っておきなさい。2、3日もすれば、あの子も頭が冷えるわ。さあ、もう遅いからそろそろ寝なさい」
父も立ち上がり、雪乃の頭を優しく撫でる。
「お前も早く寝ろ。詩乃みたいに、何かあるたび家出するんじゃないぞ」
私はリビングの中央に立ち、両親が寝室のドアを閉めるのを見つめる。続いて、雪乃の部屋のドアも静かに閉じられた。
明かりが一つ、また一つと消えていく。
私が今夜どこで寝るのか、誰一人として気に留めない。
私がまだ、あの冷たい川の中にいることなど、誰も覚えていない。
……
翌朝。母は私の部屋の前で少しためらってから、声をかける。
「詩乃、お母さんよ」
2分ほど待っても返事がないと、次第に苛立ち始める。
「詩乃!もう何時だと思ってるの!いつまで寝るつもり?」
部屋の中からは何の音も聞こえない。
母はさらに強く、ドアを2回叩く。バンバンと大きな音が響く。
「聞こえてるんでしょ!返事をしなさい!」
やはり物音一つしない。
「本当に、忌々しい子ね」
母はドアノブを回し、勢いよくドアを開けた。
私は彼女の背後からふわりと部屋の中へ入る。
部屋はきれいに片づいている。布団はきちんと畳まれ、机の上には開いたままの問題集が置かれている。
しかし、昨夜、誰かが寝た形跡はない。
「どこ行ったの?」
母はクローゼットの前まで歩き、勢いよく扉を開ける。
服が何着か、なくなっている。
母は身をかがめてベッドの下をのぞき込み、布団までめくる。やがて、険しい顔で立ち上がる。
「また家出したのね」
母は部屋を出ていく。スリッパの音がパタパタと廊下に響く。
ダイニングでは、父がコーヒーを飲みながら、スマホでニュースを見ている。
母は椅子を引いて座り、苛立った声を上げる。
「詩乃がまた家出したわ!服を何着か持ち出してるし、カバンもないの!」
父はスマホを置き、母をなだめる。
「放っておけ。いつものことだろ。腹が減れば、そのうち帰ってくるさ」
母は苛立った口調で言い返す。
「今回は違うわ!もう10時間も経ってるのよ!電話にも出ないし」
父は気にも留めない様子で言う。
「前だってそうだろ。俺たちが必死に探し回ったのに、あいつは呑気にショッピングモールでタピオカを飲んでたぞ」
母の声が少し低くなる。
「あのときは雪乃がコンクールで金賞を取って、私たちが褒めたから、あの子はそれが気に入らなくて、あんな騒ぎを起こしたんだから」
私はダイニングテーブルのそばに浮かんだまま、黙って二人の会話を聞いた。
本当は、あの日、私は月例テストを受けていた。両親は、そのあと学校の三者面談に来てくれると約束していたのだ。
第4話
しかし、まさにその同じ日、雪乃がピアノコンクールで金賞を取ったため、両親は表彰式へ行ってしまったのだ。
学校で日が暮れるまで待っていたが、結局両親は来なかった。
帰り道、あまりの空腹に耐えきれなくなり、食べるものを探してショッピングモールへ向かった。そこで私のことを思い出した両親と鉢合わせしたのだ。
……
母は荒々しい足音を立てて、私の部屋へ向かう。
机の引き出しを開け、中を探り始める。
やがて、黒い表紙のノートを取り出す。私が隠していた日記帳だ。
母は最初のページをめくり、ざっと目を通しただけで鼻で笑った。
「またこんなくだらないこと書いてる」
日記をダイニングテーブルに放り投げる。
「ほら、またよ。『雪乃が熱を出したときは、お母さんが病院に連れて行った。私が熱を出したときは、自分で薬を飲んだ』。こんなことまでいちいち書いてるわよ。
『雪乃に絵を破られた。雪乃にセーターを取られた』。日記の半分は、こんな些細なことよ。勉強もしないくせに、雪乃と張り合うことばかり考えてるんだから」
――でも、お父さん、お母さん。あなたたちは知らない。そんな些細なことが、ずっと私を苦しめていた。ご飯も喉を通らず、夜も眠れないほど苦しかった。
母は鼻を鳴らした。
「あの子は昔から雪乃のことが気に入らないのよ。姉妹なのに、いちいち張り合って。
雪乃には心臓病があるんだから、少しは思いやってあげてもいいでしょ?私たち、十分よくしてあげてるじゃない。欲しいものは何だって買ってあげたのに」
ページをめくる母の手つきが次第に荒くなり、紙に皺が寄っていく。
「『雪乃の薬がなくなった。私がすり替えたと言われた』……何これ、でたらめばかり!雪乃に濡れ衣を着せられたとでも言いたいわけ?
『雪乃が電話で、薬なんて効かないからとっくに捨てた、と話しているのを聞いた』」
母ははっとしたように顔を上げ、怒りに任せて日記帳を閉じた。
「どうして帰ってこないのかと思ったら、こういうつもりだったのね!嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつきなさいよ!雪乃が薬を捨てたなんて!病気を治したくないっていうの!?」
母は日記帳をテーブルに叩きつけ、立ち上がってダイニングを苛立たしげに歩き回る。
「まだ若いのに、こんな作り話をでっち上げるなんて、計算高すぎるわ。大人になったら、どうなることやら」
父はしばらく黙っていたが、やがて口を開く。
「あいつが帰ってきたら、ちゃんと説教してやらないとな」
母は鼻で笑った。
「説教?あの子が聞くと思う?返事もまともにしないし、気に入らないことがあると、すぐ部屋に戻ってドアを乱暴に閉める。この前、雪乃の宿題を破いたときも、少し注意しただけで、私を睨んで……」
そのとき、インターホンが鳴った。
母は一瞬動きを止め、悪態をつきながら玄関へ向かう。
「このバカ娘、やっと帰ってきたのね。今日は絶対にただじゃおかないんだから」
しかし、ドアを開けると、外に立っているのは母の妹・島崎涼子(しまざき りょうこ)だ。顔は青ざめ、手にはスマホを強く握りしめている。
涼子の声はかすかに震えている。
「お姉ちゃん……どうして二人とも、ずっと電話に出ないの?」
母は眉をひそめる。
「電話?昨日、バッテリーが切れて、それからずっと電源を入れてないわ。何かあったの?」
涼子は家の中をちらりと見て、それから再び母に視線を戻し、震える声で言う。
「さっき……警察から電話があったの。お姉ちゃんたちと連絡がつかないから、代わりに伝えてほしいって……」
涼子は深く息を吸い込んでから続ける。
「川で……女の子の遺体が見つかった。警察署まで身元確認に行ってほしいって」
空気が、一瞬で凍りつく。
母はその場に立ち尽くしたまま、ピクリとも動かず、何も言わない。
父はまだ玄関のドアノブに手をかけたままだ。指先が白くなるほど、力が入っている。
涼子は震える手でスマホを操作し、通話の録音を再生する。
「こちらは西沖警察署です。須藤詩乃さんのご家族に、遺体の身元確認をお願いしたいのですが、できるだけ早く警察署までお越しいただけますでしょうか」